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2002年6月7日制作発表の模様
『太平洋序曲〜Pacific 0vertures〜』
話し言葉をそのまま記述すると、やや意味不明の点がございます。
ですので、全くのコピーではなく、私なりにまとめてあります。
この点は、ご理解の上、お読みになって下さい。
新国立劇場の制作の方より、「太平洋序曲」の作品紹介がありました。そして、初演時、評判がとてもよかったことなども話されました。
海外へ行くスタッフは、出演者21名(全員がその場にいらっしゃいました)を含め、55人。全員日本人でアメリカへ乗り込むというような説明がありました。
次に、芸術監督の栗山民也さん、演出・振付の宮本亜門さん、衣装のワダエミさん、そして、出演者を代表して国本武春さんの順にご挨拶がありました。
その後、質疑応答が行われました。
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この作品は19世紀の日本から物語りは出発します。 |
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スティーブン・ソンドハイムの舞台は日本では成功しないと言われいますので大変不安ではありましたが、「太平洋序曲」をやりたいといったときに、栗山民也氏が、「よし、やろう」といってくれたことに心から感謝しています。 今回多くの方に協力して頂いて再演が実現することになり、とても感謝しています。 そして、スティーブン・ソンドハイムが日本に来なければ、全くこの話はなかったので、「高松宮殿下文化勲章」の受章に呼んで頂いた方に、心から感謝しています。 リンカーン・センターによると、リンカーン・センターのあの場所で、正式ミュージカルをやることも初めてだし、日本人がブロードウェイ・ミュージカルをやることも初めてだそうです。 |
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私がこの「太平洋序曲」をやろうと思ったのは、世間的に言うスターがだれひとりなく、でも実力のある人が集まって、とてもよいプロダクションだと思ったからなんです。 私はNYで仕事をしていますが、みんな外国人とのプロダクションだったんです。 本来的に言うと、芝居の創り方、ミュージカルの創り方は、こうあるべきはずなのですが、日本の現状だと、テレビで有名な人が一人、二人入っていると言うところから始まっていっています。 |
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え〜〜〜、大変なことになりましてですね、なにか話を聞くととても大変だということを各方面から聞いております。 外国だということもありますしね、どうなることかと思います。 それからまた帰りまして10月31日楽日まで、体調に気を付けで無事に務めたいと思います〜〜〜 が、しかし、そういう風にへりくだった気持ちではいるものの、心のどこかでは、やはり、昔、黒船が来て日本人が驚いたように、我々が文化の黒船となりアメリカの人たちに多少驚いてもらおうかと言う気持ちもないことはないという点を一つ申し上げておきます。 |
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質問@ | 亜門さんへ二つ伺いたいのですが…。第一は、ソンドハイムさんが大絶賛された理由は、亜門さんご自身どこにあると思われますか?第二は、テロがありましたが、演出等で変更がありますか? |
回答@ 宮本亜門さん |
ソンドハイムがどのように感動したかはこの中(多分、ジ・アトレの記事のこと)にも書いてあるので参考にして頂きたいと思います。 私がソンドハイムとその後、何回か会って言ってくれたことをまとめると、日本でブロードウェイ・ミュージカルを上演するならきっと演出も形もすべて全く同じようにやると思っていたが、観た時にすべての想像が覆されたことがまず一番大きな喜びであった、ということです。 それから、初演の時に自分達がどうしてもつかみきれなかった何かが、ここにはあると言ってくれました。 ミュージカルは単なる娯楽ではなく、いろいろな実験も出来、深い意味を語ることが出来ると思っている。そしてそれらが、この舞台には隠されていると感じているので、今、ブロードウェイでやって欲しい、というのが彼の強い思いだったようです。 二点目ですが…実を言いますと、この企画も、この時期ニューヨーク、ワシントンDCとテロの場所を巡ることになりますので、危ないんじゃないかと思いましたね。 ただ、その後ブロードウェイが復活し、灯りをともして舞台芸術は自分達の文化だと言い始めてから、今こそこれをやるべてじゃないか、という機運に変わってきました。 というのは、「太平洋序曲」というのは単純に日本とアメリカの話ではあるのですが、ソンドハイムが言うには、また、私も同感してそれで盛り上がったのですが、アメリカがほかの国に何をしてきたのか。 演出で、一つ大きく変わったことは、アメリカ国旗が舞台上にわ〜〜〜っと出るのですが、これも同じなんですが国旗の形が正確になりました。 舞台への影響はそれぐらいで、ほかは殆どありません。 |
質問A | 今回はアメリカ人の前でやると言うことで、観客の視点も違うと思うの手ですが、演出家として意識されている部分があるのでしょうか? |
回答A 宮本亜門さん |
演出を変えるということはないです。 そもそも「太平洋序曲」というのは1976年、ウィンター・ガーデン劇場という巨大な劇場で、もし日本人が黒船のミュージカルを創ったらという設定で彼らが創っているのですね。 今度は本当に日本人がやっていると言うことですので、原作に関わったワイドマンやソンドハイムらに言わせるとこれが理想の形で、これは亜門と他のスタッフ全員と、この出演者とのコラボレーションの自分達が最もやりたかった形の、理想の形だと言っています。 で、ハロルド・プリンス(76年版の演出家)はジェラシーを持っているということです(笑)。 |
質問B | まあ、そういう話であっても、国本さんにお尋ねいたしますけれど、実際おやりになるお立場としては、アメリカ人の観客の前では、気構え、心構えも違うかと思うわけですけれど、そのあたりはいかがでしょうか? |
回答B 国本武春さん |
でもまあ、人と言うのは、だいたい同じようなものですし、立つ時間が長いか、座る時間が長いかのまあいろいろあるでしょうが、まあ今、いろいろ交流もありますから。 興味があるということで過ごして頂けるんではないかと…何とも言えませんがひとつそんなところで。 (この間、場内笑い声絶えず) |
発言 宮本亜門さん 回答Bの 国本武春さんの発言を受けて |
僕は、プレッシャーをかけるつもりはないんだけど、この前、彼らに(出演者に)言ったのは、ミュージカルを志す者ならば、きっとブロードウェイというかニューヨークで、ミュージカルをやるというのは大変面白いことだと思うんですよ。 滅多ない(すごく強調して)機会だと思うんですよ。 そして、今回に関しては一流の批評家、ブロードウェイ関係者が全員来ると言う形なんですね。 ねぇ、(国本さんの方を向いて)国本さんが2年後、ブロードウェイで主役やったりする可能性は?ないですかね。まあ、わかりませんが(笑)。 ニューヨークはとても批評が、よくも悪くも異常に厳しいし、ファスティバルであっても容赦ないでしょうね。 |